群馬県の邑楽郡にある小泉神社について紹介します。
- 小泉神社(こいずみじんじゃ)の概要
- 由緒・歴史(ざっくりで勝手な解釈を含む)
- 境内の様子と見どころ
- 御朱印情報(種類・期間限定等)
- 最後に
- 邑楽郡とその周辺の神社仏閣
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小泉神社(こいずみじんじゃ)の概要
創建 | 883年 |
御祭神 | 藤原長良公、菅原道真公、他22柱の神 |
御利益 | ①家内安全②厄除③学業成就④身体健全 等 |
参拝の所要時間 | ~30分 |
境内の規模 | ☆☆★★★ |
御神木のでかさ | ☆☆☆☆★ |
アクセス | 〒370-0518 群馬県邑楽郡大泉町城之内1丁目8−18 |
駐車場 | 有り(境内で数台程のスペース) |
由緒・歴史(ざっくりで勝手な解釈を含む)
藤原氏の末裔?である築比地良基(ついひじよしもと)という人が、
先祖であり崇拝する藤原長良公を祀ったのが始まりとされる。
長良公とはこの地域に繁栄をもたらした開拓者である(この辺りには他にも長良公を祀っている神社がある)。
当時、当社は長良明神と呼ばれた。
その後、1489年に小泉城主の富岡主税介直光(とみおかちからのすけなおみつ)が社殿を再建。
が、1590年に豊臣秀吉が小田城攻めをした際に飛び火し、社殿やら宝物・資料等が焼失してしまう。
なんとか長良明神は再建されたものの地域の隅っこで細々と祀られるのであった。
そのような中、当時領主だった杉山三右衛門(すぎやまさんうえもん)が社地を寄進したのを機に造営し、1611年に現在地にて祀られる。
1872年、小泉村の村社になり、その数年後には現在の拝殿・弊殿が再建。
1912年、学問の神である菅原神社やその他町中の神社を合併し、総社小泉神社が誕生した。
藤原長良公はこの辺を御朱印巡りしてる間にちょくちょく聞きます。この機にどんな人物か勉強してみよう。
ちなみに名前の元となった小泉町は、今は合併して大泉町になった様子。
境内の様子と見どころ
鳥居をくぐると正面に建つ拝殿。
後ろにある本殿は1848年から1854年にかけて造営されたものらしく、なんでも彫刻が素晴らしいらしい。なんだけどちゃんと見学せず、写真も撮らずに帰ってきてしまった・・・大泉町の重要文化財に指定されてるようです。
拝殿の右手には御神木の大ケヤキ。
樹齢300年で西邑楽郡エリアでは最もでかい巨木だそう。でかいのも然ることながら形がいいしフサフサしている良木だなあ。
延命成就・子孫繁栄のパワースポットとされているそうだが、このような御神木に対してケンボーの認識は違う。こういう御神木に参拝(なんなら抱きつく)する際は「頼むぞお!」と禿げがこれ以上進行しないよう祈願している(切実)。
境内には手作り?なかわいらしい鯉幟。季節により変わるのかな。
絵馬は勾玉で、志望校合格や昨今の流行病が治まるよう祈願されてるのがちらほら。風で境内にカラカラ音が響いてる感がなんともエモい。
拝殿の左手には稲荷神社。
1816年に長良明神のご神託により社日大神(土の神?らしい)を勧請したのが始まりな。その後、京都の伏見稲荷大社から分霊を迎えて社日稲荷神社と改めたそうな。
御祭神は五穀豊穣系の神様と猿田彦大神、あと一部わからない神様が祀られてました。
最後に社務所へお邪魔したところ、折り紙いただきました。完成具合に感心したし、こういう心遣い良いですね。
御朱印情報(種類・期間限定等)
小泉神社の御朱印についてまとめます。
期間限定御朱印 | 有り(月替わり) |
種類 | 複数有り |
サイズ | 片面または見開き |
カラフル系 | 有り |
手書き | 無し(そのうち出るかも) |
初穂料 | 500~700円 |
通常のに加えて季節ごとにデザインが変わる限定御朱印、稲荷神社と御神木をモチーフにした御朱印がありました。
今回いただいたのはこちらの御朱印です。
かわいい系な御朱印です。いろいろ引っ張りまわされてキャンキャン文句言ってた相方も喜んでました、めでたしめでたし。
最後に
御朱印いただく際、足の弱いお婆ちゃんがわざわざ奥から出てきて対応してくださりました。有難う御座いました。
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